ハナガミと念力

 ある程度の病気や障がいを負ったことがあるかたなら同感していただけるだろう。

 健常なときは気づくことさえなかった当たり前のものを失う辛さ、あるいはその辛さを克服したあとの感謝の念や幸福感、あるいは一度失ったものを取り戻すことができたり、多少でも回復することができたときの、感謝や幸福の念を越えた、畏敬の念ともいえる感覚。




 しかし、苦難を乗り越えることは容易なことではない。
 乗り越えたとしても、さらなる大波が襲ってきたりすることも多い。あれだけのことを経験したのだからと強気でいても、また同じように翻弄される。

 人は神ではないから、それでよいのだ。
 大いに翻弄されるがよい。

 といって、できれば苦労などせずに、ノウノウと暮らしたいものである。
 故に私は、可能な限りラクチンな生活が送れるよう、あらゆる努力をする。

 使ったハナガミは、えいやっとごみ箱に放り投げる。もちろん入らないし、そもそも私のごみ箱は、フタをあけないとごみが捨てられない仕組みになっている。

 物を落とした時は、小学生のとき以来、安易に席を立ち、手で拾おうなどとは思わず、まず念力で手元に引き寄せようと努力する。数十年続けているが、まだ人類が知り得ない単位で、ごくわずかに動いていると思う。
 しかし、手元に戻ってくるまでには、おそらく数万光年かかると、サッと10秒ほどで計算し、身体的動作により、落とした物を拾う。

 私の周りには、決して楽ではない人生を歩んでいる人が多い。
 尊敬に値する人々だ。こうした人々は、人間的にとてもできている人が多いので、私が何度ハナガミをフタの閉まったごみ箱に放り投げようとも、あるいは落とした物を椅子から動くことなく「うーん」とうなって手を伸ばそうとも、優しい笑みをうかべるだけである。

 私は困難な状況にある人をみると、少しでも楽にならないものかとあれこれ考え、調べ、行動してきた。
 障がいを負い、返せなくなった数百万円の借金をチャラにしたこともあるし、ある地方公共団体には、存在しない公共サービスを例外的に長年実施してもらうことに成功したこともある。
 さまざまな助成制度を調べ、それらが認可されるよう、怨念とも言えるほどの執着心をもって実現もしてきた。

 こうした私の行動を、自分ではほこりに思ってきた。

 しかし、先日ツイッターで、ある視覚障がい者のかたが、子どもの時に親に言われたという内容に、大いに感激した。

 「あなたは目が見えないから、将来お金がかかる。だからお金がちゃんと得られるよう勉強をしなさい。」

 実際の文章では、もっときつい言葉で書いてあったのだが、上のような内容のことを言われたらしい。
 私はなんとすばらしいご家族だろうと思った。

 実際そのかたは、プロフィールを拝見する限り、英語の翻訳や通訳、あるいは講師をされているようで、ますますご本人を含め、すばらしいご家族だと思った。

 とかく、金銭面やサービスなどで、補助的なものを求めがちな状況で、真の自立を目指し実現しているこのかたを、尊敬せずにはいられない。

 人より困難な状況に置かれているからこそがんばる。
 被害者意識もなく、弱者意識もない生きかたを、私は美しいと思った。

 もちろんツイッターの140文字だけでは、実際のところについて何もわからない。
 しかし、感動するには十分な文字数だった。

 ちなみに、アビリティーズ・ケアネットという会社のサイトには、アビリティーズの綱領というものが掲げられていて、上記に通ずる内容がすばらしい文で書かれている。

 残念ながらこの綱領は、画像で貼り付けてあるため、スクリーンリーダーなどでは読めないので、許可はもらっていないが、そのまま書き写させていただき、下記に引用する。(問題があれば削除します)


▼アビリティーズ・ケアネット株式会社
http://www.abilities.jp/
「アビリティーズの綱領」ページより

<引用開始>

アビリティーズの綱領

 わたしは平凡な人間でありたくない。非凡な人間としてできれば"保障"よりも"チャンス"を選ぶこと…これこそわたしの願いである。
 わたしは、国家に養われ、卑屈で、怠惰な人生をおくることに満足できない。わたしは、夢をえがき、計算された冒険の道を求め、建設しつづける。
──たとえそれが成功しようとも、失敗しようとも。
 わたしは、すばらしい人生の刺激を、いくばくかの施し物のために放棄することしない。わたしは保障された生き方よりも、つねに挑戦する人生を選ぶ。それはユートピアのような日々ではなく、スリルに満ちた世界である。
 わたしは、決して、恩恵のために自由を、事前のために尊厳を捨てることはしない。いかなる権力者の前でも畏怖しないし、また、いかなる恐怖に対しても恐れることはない。姿勢を正し、誇らかに、なにごとも恐れず、自らの意思で決断し、行動する。自分で創造していくことを大切に考え、世界に向かってこう宣言したい。
──これがわたしの成し遂げたことだ──と。
 すべての障害者のために、あなたとわたしのために、この綱領は名誉ある日本人としての道を示すものである。

一九六六年四月一七日宣言

<引用終わり>


 すばらしい文章だと思う。
 障がいや病気をかかえていると、つい弱気になってしまう。出来ていたことも、なんだか出来ないような気になってしまうこともある。
 不安と恐怖心が常に横にあり、「もし…」という考えが頭をよぎる。

 私の場合は、人のためなら執念でも怨念でも発揮できるが、自分のこととなると、とたんに諦念してしまう。

 しかし、ツイッターを通して、見知らぬかたとそのご家族から、多大な勇気をいただいた。
 私もがんばって生きようと思った。

 きっといつか、私がハナガミを丸めて放り投げれば、ごみ箱の蓋はぱかっとあき、華麗に入るに違いない。

[追記]

 誤解を招くといけないので追記しておくと、私は日本の福祉政策が十分、あるいは適切だとは思っていない。
 それに、補助や助成は、利用できる権利のある人は利用すべきだとも思う。
 もちろん、権利があるかたでも、例えば経済的にゆとりがある人が辞退されるのは良いことだと思うが、中には、必要なのに無理をして、心身や環境が悪化したり、不必要と言って良いような苦労をされているかたもいるので、こうしたかたがたは、どんどん活用し、それによって得た、時間的、経済的、身体的、精神的ゆとりを、社会に別の形で還元するのが良いと考えている。
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by mountaineer_d | 2011-02-16 20:29 | 健康医療福祉

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